2022年の夏の甲子園で優勝した仙台育英高校の須江航監督が、感動的な優勝インタビューもあり話題になりましたね。
インタビューで語った「青春は蜜」という言葉はもちろん、高校時代は選手としてほとんど活躍できなかった人が東北勢初の全国制覇を成し遂げた監督になったことも、理由の一つではないでしょうか。
そんな仙台育英高校野球部・須江航監督の、経歴や学歴、さらに家族情報をまとめました。
目次
《仙台育英高校野球部》須江航監督の経歴
まずは仙台育英高校野球部監督の、須江航監督の経歴を紹介します。
1996年:鳩山町立鳩山中学校入学
1999年:仙台育英高校入学
2002年:八戸大学(現・八戸学院大学)入学
2006年:仙台育英学園秀光中学校にて教職を開始。軟式野球部の監督に就任
2018年:仙台育英高校に勤める。硬式野球部の監督に就任
以下に詳しく学生時代や指導者時代の経歴も紹介します。
学生時代(選手)
仙台育英高校の野球部・須江航監督は、埼玉県で生まれ育ちました。
1983年4月9日生まれで、甲子園優勝時の2022年現在は39歳の監督です。
小学校2年生の時に野球をはじめ、鳩山中学校時代にはキャプテンを任されました。
キャプテンを任されるということは、やはり当時から部員や指導者からの信頼があったのだと推測できますね。
高校進学時は地元の埼玉県を離れ、仙台育英高校へ進学し野球部に入部します。
須江監督が現役選手として高校野球に携わった期間は、1999年4月〜2001年8月までの期間です。
その頃の仙台育英高校は、1999年夏、2000年夏、2001年春夏の計4回甲子園に出場し、2001年春の選抜では準優勝にも輝きました。
仙台育英高校の野球部は全国的にも非常に有名な名門校であり、部員数の制限も無いので非常に多くの部員が在籍しております。
そして、集まった選手は須江監督のように中学でキャプテンを任された方や、エースや4番などのチームの中心選手だった方も非常に多いです。
実力のある選手が集まる仙台育英高校の野球部では、須江監督が高校入学した当時は入学直後に部員の振り分けがあったそうです。
振り分けの内容としては、選手として活躍できる見込みのある者は練習に参加できるものの、そうでない者は練習のサポート役に回るというものでした。
そんな振り分けがある中で須江監督は、残念ながら選手としての見込みがないと判断されてしまいます。
高校時代はレギュラーはおろか、控え選手としてのベンチ入り経験もありませんでした。
それどころかバッティングゲージでのバッティング練習や、シートノックでの守備練習にすら参加することが無かった高校野球生活を送ったそうです。
須江監督いわく『自分で言うのもアレですけど、なかなかの補欠っぶりでしたよ』と言うほどだったとのことでした。
学生コーチ時代
仙台育英高校の須江航監督は、高校生の頃に選手としては活躍ができませんでした。
しかし、最上級生になった高校2年生の新チーム当初、学生コーチとしての道を歩み始めます。
これが須江監督の指導者生活の第一歩となります。
仙台育英高校には伝統的に、学生コーチの役割を担う選手がいるそうです。
その学生コーチに選ばれる選手は、試合に選手としては活躍できる見込みが大きくないが、チームに貢献してくれそうな人だとのことでした。
須江監督は2年生の新チーム当初から1年間、学生コーチとして1軍や1軍を狙える選手に対して指導を行いました。
ただ、コーチという肩書きはあれど、16〜18歳の高校生にマネジメント能力はなかなかありません。
須江監督も例外ではなく、当初の指導方針としては怒ることしかできなかったと語っています。
年齢は選手と同じだけど、立場はコーチ。
この立ち位置は心理的な距離感が非常に難しく、選手とは段々と仲が悪くなっていったそうです。
高校野球を終えた後は肩の荷がおり、選手とも打ち解けられたとのこと。
そしてこの経験が、のちの甲子園優勝にも大きく役立ちました。
学生コーチ終了後、その経験や反省から『高校野球の指導者になったら、あれやこれをしたい』という思いが募り始めました。
本格的に指導者になり、後悔や反省を晴らしたいと考えていたそうです。
高校卒業後は、青森県の八戸大学(現・八戸学院大学)でも学生コーチを経験しました。
1981年に野球部ができた八戸大学では、チームを強くするために優秀な学生コーチが必要だと藤木豊監督が考えており、須江監督に声がかかりました。
伝統がある仙台育英高校とは違い、新興勢力の八戸大学では自身でチームを作り上げていく喜びを感じていたそうです。
また、マネージャーを務めながら監督の運転手をしたり、野球界の就職や進学なども含めた人間関係を学びました。
指導者時代(教員)
2005年、須江監督が八戸大学の4年生の秋、仙台育英高校野球部の佐々木順一朗監督(当時)から『系列の秀光中学校の監督を探している』という声が掛かりました。
仙台育英高校は中高一貫の学校であり、系列校には1996年に開校した「仙台育英学園秀光中学校」があります。
秀光中学校は2005年に軟式野球部が作られ、須江監督は大学卒業後の2006年春から秀光中学校の教員、そして野球部の監督として社会人生活をスタートさせました。
ただ、秀光中学校は仙台育英高校野球部とは異なり、野球どころか運動自体を中学に入って初めて本格的に始めるという部員も多くいたそうです。
高校や大学時代とは全く異なる境遇の生徒を指導することとなり、野球のルールやボールの握り方など、基礎から指導を行いました。
この経験が須江監督にとって、選手に目線を合わせた指導を行う非常に良い経験になったのだと思います。
初めて挑んだ2006年春の大会では0対30でチームが敗れたものの、同年秋には公式戦初勝利を挙げました。
その後はユニフォームを系列の仙台育英高校と同じデザインにしたことで話題になり、進学先に秀光中学校を選ぶ小学生も増えたそうです。
2010年には全日本中学軟式野球大会に初出場し、その頃から良い選手がどんどん秀光中学校に来るようになりました。
須江監督は2017年まで秀光中学校野球部で監督を務め、全国大会出場7回、2014年には全国制覇も成し遂げました。
2018年、仙台育英高校野球部で部員の飲酒や喫煙が問題となり、当時の佐々木順一朗監督が辞任しました。
ここで後任として選ばれたのが、須江監督です。
不祥事を起こした仙台育英高校野球部は、2017年12月から7ヶ月間の対外試合禁止の処分を受けています。
2018年6月5日に対外試合が解禁されるまでは紅白戦などで力を付け、同年夏は甲子園に出場しました。
その後は翌2019年夏、2020年の甲子園交流試合、2022年夏に甲子園へ出場。
2022年夏には東北地方の学校として、ついに悲願の甲子園優勝を成し遂げました。
須江監督は、中学と高校で日本一を経験した監督ということになりました。
ちなみにですが、秀光中学校軟式野球部は2022年をもって廃部となっています。
代わりに硬式野球のクラブチーム『秀光ボーイズ』が2022年4月よりスタートしました。
入部条件は秀光中学校の生徒であり、さらに内部選抜を通過する必要があるそうです。
また、系列校の仙台育英高校への進学は保証されていないとのことでした。
《仙台育英高校野球部》須江航監督のプロフィール
本名 :須江 航(すえ わたる)
生年月日:1983年4月9日
出身地 :埼玉県さいたま市
学歴 :鳩山町立鳩山中学校→仙台育英高校→八戸大学(現・八戸学院大学)
職業 :教師
担当教科:情報科
身長 :168cm
体重 :65kg
《仙台育英高校野球部》須江航監督の実績
上記で紹介した部分もありますが、須江航監督の監督としての実績をまとめました。
秀光中学校
2010年:全日本中学軟式野球大会 ベスト8
2011年:全日本中学軟式野球大会 出場(初戦敗退)
2013年:全日本中学軟式野球大会 ベスト8
2014年:全日本中学軟式野球大会 優勝
2015年:全日本中学軟式野球大会 準優勝
2016年:全日本中学軟式野球大会 ベスト4
2017年:全日本中学軟式野球大会 ベスト4
仙台育英高校
2018年:夏の選手権大会出場 初戦敗退
2019年:夏の選手権大会出場 ベスト8
2020年:甲子園交流試合(新型コロナウイルスの影響により選抜大会が開催されなかったため)
2021年:春の選抜大会出場 2回戦敗退
2022年:夏の選手権大会出場 優勝
《仙台育英高校野球部》須江航監督の指導した主な選手
仙台育英高校の須江航監督が指導した、主な選手を紹介します。
・西巻賢二(秀光中学校時代)
・佐藤世那(秀光中学校時代)
・梅津晃大(秀光中学校時代)
・入江大樹(仙台育英高校時代)
《仙台育英高校野球部》須江航監督の家族
仙台育英高校の須江航監督は、奥様の絵菜さん(38)、長男の明日真くん(8)、長女の恵玲奈ちゃん(5)の4人家族です。
奥様は仙台育英の音楽科教員だそうで、学校内で出会ったそうです。
長男の明日真くんは野球スクールに通っており、仙台育英高校が優勝決めた時にはアルプススタンドで応援しており『僕も野球を頑張る』と笑顔で言っていたとのこと。
また、顔がキリッとしており『イケメン』と話題になりました。
長女の恵玲奈ちゃんは、優勝を決めた時に明日真くんと同じくアルプスで応援をしていました。
チアガールのようにボンボンを持って応援しており、こちらも『可愛い』と話題になりました。
《仙台育英高校野球部》須江航監督の名言・優勝インタビュー
上記動画は仙台育英高校の須江航監督が、夏の甲子園優勝を決めた後の優勝インタビュー時のものです。
仙台育英高校の須江航監督と言えば、優勝インタビューが感動的で話題になりましたね。
中でも特に注目されたのが、『青春って、すごく密なので』という名言です。
コロナ前までは当たり前のようにできていたことが許されなくなり、そんな学生の心境を代弁したインタビューは非常に多くの方々の涙を誘いました。
今回の甲子園大会では幸いにも出場辞退に追い込まれた学校は出なかったものの、地方予選やインターハイでの他競技では出場を辞退せざるを得ない学校や選手も出ており、非常に配慮のある言葉を選んでインタビューに受け答えをされていました。
人の心をしっかりと理解されている、非常に人間味があって温かい監督だとわかるコメントですね。
だからこそ選手がしっかりとついてきて、秀光中学校でも仙台育英高校でも監督として日本一を経験できたのだと思います。
《仙台育英高校野球部》須江航監督の指導方針
上記動画は、須江航監督就任後の仙台育英高校野球部の練習風景です。
かつての入部3日で練習に入れる選手・裏方に回る選手という分け方は無くなり、部員全員がメンバー入りを目指せるようになりました。
そんな須江航監督の指導方針は、メンバー入りするための条件を数値化をして、全員が明確な目標に向かって鍛錬に励みやすくしていることです。
以下は須江監督が挙げている例です。
・右投手であれば135km/h以上、左投手は130km/h以上の球速
・打球速度145km/h以上、スイングスピード140km/h以上
・1塁への駆け抜けは3.85秒以内
・ベース1周は15.40秒
このような主観の入り込む余地が無い基準を作ることで、誰でも頑張ればメンバーに入れるチャンスがあることを明確にしました。
さらに基準に達しない選手とは個別でミーティングを行い、どうしたら基準を超えられるかをしっかりと話しあっているとのことです。
また、どれだけ野球選手としての技術や身体能力が高くても部の活動理念に反した行動をした場合は、メンバーから外すという但し書きも加えているとのこと。
須江監督は監督の仕事は『選手のモチベーションを上げること』『思考の交通整理をすること』の2つだと語ります。
明確な基準を作って良い雰囲気でチーム内の競争を行わせ、伸び悩んでいる生徒とは話し合ってどうしたら現状を打開できるかの解決策を一緒に考えていく。
自主性を大切にしつつも、野放しにはせず締めるところはしっかり締める。
本当に選手思いの素晴らしい監督だと思います。
須江監督がいる限り、今後の仙台育英高校野球部は選手が育ち、強いチームを築き続けていくのではないでしょうか。
まとめ
仙台育英高校野球部の、須江航監督の経歴を中心に、学歴やプロフィールなどを紹介しました。
学生時代に選手として活躍できなかったからこその視点から選手育成を行い、全国制覇まで成し遂げた本当に素晴らしい方だと思います。
昨今の世界的な感染症の広がりでまだまだ世の中が不安の中、須江監督のように上手くいかなかった経験がある方が栄光を掴んだことに、とても多くの方が勇気を頂いたのではないでしょうか。
須江監督の今後のチーム作りにも注目していきたいですね。